PT-OT-STチャンネル オンラインジャーナル 事務局
10月27日28日の二日間にわたり、大阪で訪問リハビリ未来サミット実行委員主催の訪問リハビリ未来サミット2012に参加してきました。
会場に入るや200人程の座席は開始時間前にもかかわらず、ほぼ埋まっており、熱気はとても感じるものの、非常に静かで、参加者の皆さんのこのサミットに対しての期待と少しでも多くのものを学び取って持ち帰ろうという意気込みを感じました。
初日は海外の病院、訪問のリハ事情と、これからの日本の後期高齢者の回復期対策だけではない、がん患者、終末期にも対応できるセラピストの訪問リハへの幅広い活動へのビジョンや、震災特区における訪問リハの現状と求められるセラピストの在り方をPTの各演者の先生方が熱心にお話し下さいました。
翌日は訪問リハにおけるPT,OT,ST未来形と題したお話を訪問リハの会社の代表取締役をなさっている各セラピストの先生方より伺いました。その後、訪問リハの未来を語るシンポジウムがあり、1年目の若い方から、ベテランのセラピストまで、質疑応答も活発に行われ、院内だけでなく、訪問リハでのこれからのPT,OT,ST各セラピストの地域での重要な役割についてお話が交わされました。
今まで、施設内で行うことが当たり前だったリハビリテーションを、各セラピスト達が頻繁に個人宅を訪問することで、よりきめ細かくできることが当たり前になったら…
二日間のお話を伺う中で、私の頭の中では、夫の母のことが常に思い起こされていました。
義母は脳溢血により、1か月間、急性期病院に意識不明で生死をさまよいました。その間、PTの先生が応答もしない義母に向かって毎日、丁寧に優しく声を掛けながら、マッサージをして下さいました。そのお蔭もあって、義母は脳の切開をすることなく、意識は回復しました。しかし、ここでは、右半身不随になるだろうと言われていました。
次にリハビリ病院へ転院してからはPT,OT,STそれぞれの先生と看護師さんの手厚いケアのお蔭で懸念していた右半身も、奇跡的に、よく見ないと分からないぐらいまで回復し、言葉や記憶も徐々に回復してきていました。
奇跡的な回復があったために、特例で5か月入院させていただきましたが、介護老人保健施設の空きがなく、仕方なく転院した療養病床のある病院でのリハビリ時間の少なさで、折角回復した機能は、目に見えて衰えていきました。結局、自宅で生活したいという本人の願いを尊重し、在宅になりましたが、機能は下げ止まったままになっています。
海外のように、退院は早くても、きめ細やかな在宅リハと病院の連携がとれる状況があったり、家庭で生活する上での効果的なリハをしていただける環境があれば、どんなに義母も生き生きと暮らせただろうと残念に思えてなりませんでした。
いま、義母は、自分に対して自信を失ってしまいました。
折角、奇跡的な回復ができたにもかかわらず。
これは、単に義母だけの状況ではないと思います。
デイサービスの送迎車が行き交うように、訪問リハの車が縦横無尽に走っている。一度はリハの必要な病気になったけれど、社会生活を営んでいける自信に満ちた人が当たり前に暮らしている。そんな社会が広がっていくことを同じ医療従事者の一人としても願わずにはおれない。しかし、それは夢物語ではないのだという温かい気持ちになれた二日間でした。